デザインした本人が「なぜ?」を説明できない要素があっちゃダメだと思っています。
自分なりの根拠を持てと。
ただ、それは“他人に説明するため”のものではありません。
「なんとなく、こっちがいいな」と思ったとして、もし誰かに聞かれたら、ちゃんと語れる。
聞かれたら、0点。
「このデザインって、どういう意図ですか?」
あー…はい、0点。負け。
デザインは世の中に出た瞬間から、独り歩きしてデザイナーの声が届かないところまで行ってしまう。
意図が無いデザインを世に放ってません?
デザインを説明することで相手の理解を導くのではなく、相手が自分で受け取れるところまでデザインすることが大事。
もちろん、仕事のなかで、クライアントへの説得材料としての意図やテクニックの裏付けが必要な場面もあり、その必要性はある程度理解しています。
ただ、心底「なーんも考えてません」じゃ、弱すぎませんかっていう。
考えて無いんじゃなくて。
「なんとなく、こっちがいいと思った。」
そんな判断ももちろんあり。
「じゃあ、説明してよ。」
そんな時ほど、待ってましたと言わんばかりに語れたりする。
デザイナーが積み重ねた経験や感覚で、言語化より先に判断できることもある。
“説明できない=考えていない”、じゃない。
むしろ「なんとなく」の方が、説明するには気の遠くなるような判断の連続が凝縮されている気もする。
正義は、ない。
デザインにはセオリーはあっても、“絶対こう!”という正義はない。
たとえば、
- 複数ページなら、全体の整合性を考えなきゃ
- 1ページだけだし、孤立無援で尖らせてやるぞ
- 過去の流れを踏襲しなきゃ
- 過去はあえて無視するぞ
- 複数人で分担しなきゃ
- 一人で一気に作るぞ
- Figmaはコンポーネントをきっちり組まなきゃ
- コンポーネントなんか無視して絵を描くように進めるぞ
どれも正解になり得る。
でも、どれも正義じゃない。
時と場合。
デザインって、正しい方法を決めることじゃなくて、状況に応じて方法を選ぶことなんだと思う。
- ロジックだけでもない
- 直感だけでもない
- 過去を尊重することもある
- 過去を捨てることもある
- ルールを作ることもある
- ルールを壊すこともある
- 説明することもある
- 説明しないこともある
時と場合。TPO。
つかう頭、いろいろ。
考えるときも
描くときも
整理するときも
壊すときも
説明するときと、説明しないときも。
デザインって、いつも同じ頭じゃできません。
説明できる。でも、しない。
そんな天邪鬼くらいが、ちょうどいい。たぶん。
わたしは、CBOをしています。
J.B.Goode株式会社は、デザインや技術を表層だけではなく、その奥にある「構造」まで考え、形にするチームです。
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