ミイラ取りがミイラのミライをつくる話
“AIがデザイナーやエンジニアの仕事を奪う”
そんな言葉を見聞きするたび、「ミイラ取りがミイラになる」のようで、なんだかモヤモヤ。

AIは、どこからか急に現れた存在じゃない
インターネットも、スマートフォンも、その上に乗るアプリ。すべては
“ヒトの積み重ね”の先にあり、AIもその延長線上にある。
例えば、断片的な言葉(プロンプト)を投げるだけで、
ぱっと見「できてるじゃん」と思えるロゴやランディングページが秒で生成される。
すご。便利。ちょい達成感。
でも…
それって“自分ごと”?
落書きのようなラフを描いて、迷って、崩して、また戻す。
その中で偶然できた余白に「あれ?これ、いいかも」と思える瞬間。
奇跡。
その奇跡のプロセスをすべてショートカットしたら、確かに効率は上がる。でも、体温や熱量のような一番大事なもの、落としてない?
思考停止してない?

奪われる”じゃなく、どう接するか
AIが作ったデザインを見て「マダマダ」とか「ダメダメ」と言うのは簡単。
でも、待て待て。
それよりも、もしそのアウトプットに「その手があったか」と揺さぶられたら?
素直に受け入れ、自らの血肉として蓄える。
奪われるかどうか、じゃない。
どう接するか。だけ。
ミイラにミライはつくれない
例えば、モバイルアプリの設計は、ユーザーの指先に触れる最前線。
感情の揺れや、ほんの一瞬の躊躇まで想像しながら、その一歩先をつくる仕事。
AIは、ものすごく優れた集合知かもしれない。
だからといって、まだ誰も見ていないミライを創造できるのは、やはりヒトだと思う。
ヒトにしかできない、“体温”のある仕事を積み重ねる。
そんな領域は、マダマダ結構ある。
ミイラ取りがミイラになる、のではなく。
ミイラをどうデザインするか。
ミライのミイラをデザインします
効率の追求だけじゃなく、余白を楽しみ、自分の言葉で語れるアウトプットをつくる。
私たちは、そんな“体温”が感じられる仕事を大切にするチームでありたい。
この価値観に共感できるヒトたちと、新しいミライが描けたら、うれしいユートピア。
